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なんだこれは「マルホランド・ドライブ」

マルホランド・ドライブ

10個のヒントの参考解答

【ヒント1】映画の冒頭、クレジットの前に、少なくとも2つの手がかりがある

マルホランド・ドライブ

まず一つ目のヒントは、映画公開当時から様々なことが言われました。「少なくとも2つ」ですから、2つ以上あってもおかしくありません。


手がかりの一つは、冒頭のコジルバンテストでダイアンが優勝し、ハリウッドでのオーデションのチャレンジ権を得たというもの。しかし、このシーンはダイアン(ホントの名前)として優勝したのか、ベティ(妄想で作り上げた自分)が優勝したのかは判断に困ります。ベティとして優勝していたら、おそらくこのシーンはダイアンの妄想として受け入れるのが自然です。


二つ目のヒントは、映像にこだわるリンチ監督としては、少しダサいオープニングになっているので、やはり解釈のヒントを、冒頭に押し込んでいると考えられます。
私が見つけたのは、ジルバを踊るペアが、一画面にかぶらせて遠近感も乏しく重ねて(オーバーレイ)されているシーンに違和感を感じました。
こんな素人風のダサい演出をわざわざリンチ監督ほどの洒落た人が行うとは到底思えず、何かのヒントだと考えるべきでしょう。私の見方は、ダイアンがベティと重なる(二重になる)、二重人格的なキャラクターを暗示していると捉えています。ペアを変え踊り続ける映像を、ほぼ同じサイズでアルファチャンネルもそのままオーバーレイするのは、これから起こる出来事は、現実と妄想をが入り乱れた映像になることを予感させますね。

さらに、ヒントとしてとらえるなら、コンテストの優勝シーンを色あせた映像にしているのも、ダイアンの死わ伝えているようにも感じます。色褪せたポートレイトをオーバーラップさせる方法は、死者を思い出したりする場面で使われる定番の表現手法だからです。ダサくて映像的にもきれいではないものを、わざわざ冒頭に持ってきているのですから、やはり意味があるはずです。この手法は、映画の最後、つまりラストシーンでは、ダイアンとカミーラのポーレイトで同様に用いられています。

その後(色褪せたポートレイトの後)、視線はベッドの枕にゆっくりと倒れていき(突っ込んでいき)、いわゆるリンチブラックで真夜中のドライブシーンに切り替わります。カメラが枕に突っ込んで行くのは、これからは夢でみたお話、妄想のお話の始まりだということを、示しているとも受け取れます

【ヒント22】赤いランプシェードに注目せよ

マルホランド・ドライブ

映画の中に赤いランプシェードのシーンは何か所かばかり出てきます。
謎のロック氏が女性を呼び出そうとしているシーン。通話に応答はありませんが、電話が赤いランプシェードの横にあることがわかります。

映画の終盤の赤いランプシェードのシーンは、特に意味があると思われます。
先ほどの女性を呼び出そうとしているシーンと、ほば同じシーンです。違いはそのシーンにダイアンが登場するかどうかです。ランプシェードそのものより、その隣にある電話に意味があるといえます。
この電話のシーンは前半でも後半でも印象的に使われているので、実際には良いことを伝える電話ではなく、暗いことを伝えることを暗示しています。

赤いランプシェードというのは、さほど実用的ではなく、部屋が赤暗くなるので、一般的にはあまり使われないことぐらいは想像できます。
ということは、それをわざわざ使うというのは、赤いランプには意味があるとも考えられます。
よく、その問題のランプの根元を見てみると、木の幹のデザインになっています。これは、大地と天国との接続点を表すシンボルとして使われます。
日陰がある木の部分や上部は、天国をあたる部分で、ライトで照らしさないと地上から見上げても暗くなってしまう部分です。

で、私の解釈ですが、その特別な意味の持ったランプがコミュニケーションの象徴である電話の隣に置かれている事に意味があるはずです。
映画の序盤で、ベティはルース叔母さんと話します。ところが、実際には叔母さんはすでに亡くなっているので、会話などできません。つまり、死者との会話を暗示する伏線として、赤いランプシェードが象徴的に使われていると考えると、つじつまが見えてきます。会話できない人と繋がるときに、赤いランプシェードが合図になっているわけですね。

赤いランプシェードは、我々の普通の実生活では使いにくい色なので、深読みしてみました。

【ヒント3】アダム・ケシャー監督がオーディションを行っている映画のタイトルは? そのタイトルは再度誰かが言及するか?

映画のタイトルは『The Sylvia North Story』、ベティがアダム監督に会うために連れて行かれるシーン、最初の部分でわかります。
表面上は、ベティがアダム監督作品の主役を獲得するために、オーディションに行くシーンです。
オーデションの前に彼女の能力を示すための別のオーデション(彼女のおばさんが設定したボブ監督のもの)で、ベティは高評価を受けます。観客は、ベティがすごい能力を秘めた新人女優であると意識するわけですが、この部分はダイアン(ベティ)の妄想でしかありません。


実際には、ベティは『The Sylvia North Story』のオーディションにすら進めません。というのも、ダイアンの妄想によると、アダム監督は圧力を受けていて、すでに主演女優をカミーラ・ローズ(メリッサ・ジョージ)決めてしまっています。
このシーンでアダム監督はベティに着目して興味があり、ベティを使いたいという印象を観客に持たせます。舞台裏で繰り広げられた陰謀で、ベティは実力もあるのに役にありつけなかったと、美化したダイアンの妄想になっています。

映画の後半、ダイアンとカミーラの両方がボブ監督映画の役を得るために、オーディションを受けたものの、カミーラが最終的に勝ち取ったことが明らかになります。この時に、映画のタイトルが再びでてきます。

【ヒント4】事故はひどいものだった。その事故が起きた場所に注目せよ

マルホランド・ドライブ

映画前半での自動車事故はひどい惨状になっているはずです。でもリタは死んでいません。大した傷も負っていません。 このことも、前半部は妄想・夢・非現実の描写パートととされる理由になっています。 事故が起きたマルホランド・ドライブは、カミーラとアダムの家があり、彼らがパーティーを主催する場所がある道路です。 リタは自動車ジャックと事故にあい、記憶喪失になり、ベティとともに物語の初めから継続的に登場します。 映画後半部でダイアン(ナオミ・ワッツ)が車を降て、カミーラ(ローラ・エレナ・ハーディング)によって、夜の緑の中を横切りパーティーに導かれた場所は、まさに自動車事故が起きたところです。 そのことが何を意味しているのかと考えると、ダイアンがカミーラの殺害を依頼した出来事、もしくかカミーラからのパーティーへの招待をダイアンが受け入れた出来事を表しているようにも思えます。

妄想の中のリタと現実のダイアンの両方を、事故で車が止まった、もう一つはダイアンをパーティに乗せてきて車を止めた車道は、おそらくですが2人を事故とダイアンの過ちとしっかり繋げていると考えます。

【ヒント5】誰が鍵をくれたのか? なぜ?

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映画全体で鍵が出てくるシーンは3つです。 青い鍵が、映画の中でのヒントになると思い込みがちですが、実際は1番目に登場する普通の鍵もポイントです。青い鍵は、実際には映画の中では、誰もくれていません。テーブルの上に置かれていたり、見せられたりするだけです。

1番目は、ベティが叔母の家に着いたときに、**管理人のココからベティに手渡されます**。この鍵だけが、普通に手に入れた唯一の鍵です。この鍵は、ベティが叔母の家に合法的に入り、前夜のマルホランドドライブでの自動車事故後に家に忍び込んで眠っているリタに、自然に会うことになります。 2番目の鍵は、クラブシレンシオで鑑賞中にベティとリタが見つけた青い箱を開けるための、青い鍵です。 物語の前半部で、リタが自分のカバンの中身をチェックしたら、大金と青い鍵が出てきたシーンを覚えていれば、鑑賞者は、あの時の鍵はこの箱を開けるためのものだと推測できます。 青い鍵と青い箱をベティとリタが家に持ち帰ると、ベティは姿を消し、リタが箱を開けるとリタも消えて夢が覚めます。 3番目の鍵は、カミーラが殺されたことの証拠として、殺し屋がダイアンに残したものです。それは殺害依頼して、それが既遂となったこと、完了したことを鑑賞者にわからせるために使われています。 管理人のココは、鍵を与える唯一の登場人物で、ベティ(妄想)、リタ(妄想)、ダイアン(現実)、カミーラ(現実)をどう見ているかをチェックすると面白いです。 彼女は映画前半部ではベティにはオープン、ほぼ好意的、一方、決して会うことのないリタに不信感を抱いています。映画後半部では、ディナーパーティーでもダイアンに同情しています。また、彼女はそこでアダムの母親で、息子のカミーラとの喧嘩をあまり快く思っていないこともわかります。 想像するに、ダイアンは、カミーラの殺害依頼の罪悪感を少しでも軽くしようと、ココがベティ(妄想)に鍵を渡したのかもしれません。 ココが息子のアダムとカミーラの婚約に対し、少しでダイアンの味方側だとしたら(二人の婚約を快く思わない側)、前半部で彼女のほぼ友好的な対応が妄想されている理由になるように思います。 ただし、友好的といっても、対応としてはわめて普通で、敵対的ではないというだけのことです。

【ヒント6】バスローブ、灰皿、コーヒーカップに注目

マルホランド・ドライブ

このヒントは一番わかりやすいヒントです。
マルホランド・ドライブでは登場人物がの置かれた地位が、ローブから推察できます。家にはベティの叔母さんの豪華なローブがありますが、ベティはそれを一度も着ることはありません。リタとのリハーサルシーンでは、豪華なローブはリタが着ています。ベティは自分のホットピンクのバスローブを着ています。
後半部分では、ダイアンはすさんだ白いローブを着ています。もしかして、白色で無実・純真という様な意味合いがあるのかもしれません。映像では、純白ではないことは明らかで、それは汚れたからなのか、もともとそういうくすんだ白なのかまでは分かりませんが、ダイアンのすさんだ心を表しているようにも感じます。

灰皿は注目しやすいポイントです。赤いランプシェードの横には、たばこの吸い殻で満たされた灰皿があります。その中の一本の吸口には、赤い口紅のあとがあるように見えます。とすれば、赤い口紅は、カミーラのものである可能性が高く、カミーラとダイアンがタバコを共有したということかもしれません。

マルホランド・ドライブ

あるいは、灰皿だけが特別整っていない点から、恋人カミーラの口紅が残った吸殻を捨てられない、まりダイアンはカミーラを忘れられないということの伏線なのかもしれません。 ダイアンの隣人が引き取りに来たピアノ灰皿もわかりやすいヒントです。灰皿が引き取られた後も、机にピアノの灰皿が残っているシーンがありますが、当然その部分はダイアンの回想ということになります。

コーヒーカップのシーンも同様、テーブルにコーヒーカップがあるシーンから次のカットではグラスに代わってしまっている箇所があります。これらも、回想シーンと今現在のシーンを分けるために使われています。 ちなみに、コーヒーカップそのものに、特に意味は見出せません。でも、ダイアンが部屋で使っているコーヒーカップはウインキースのものであることは、気になる点ではあります。ダイアンが生活に困りドロボーしたなどという解釈もあるようですが、物語のつながりとしては不明です。

バスローブ、灰皿、コーヒーカップは、結局はダイアンのアパートでの現実世界と回想シーンを分けるために使われています。汚れた白いローブ、コーヒーカップ、隣人に渡す灰皿は、次のシーンではフラッシュバックして回想時のものに置き換わります。ローブを着たダイアンは、次のシーンではトップレスになり、コーヒーカップはウィスキーグラスになり、ないはずのピアノの灰皿が再度現れ、回想シーンに移ります。

【ヒント7】クラブ・シレンシオで、彼女たちが感じたこと、気づいたこと、下した結論は?

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クラブシレンシオでは、泣き女の歌詞を聴きながらベティもリタも感情が高ぶり、涙を流します。 ベティは悲しみと恐れを感じ、何も本物ではないことに気づき、謎の青い箱をカバンの中に見つけます。 さらに、映画の後半で、ダイアンはまだカミーラへの愛情が深く残ったままで、カミーラ殺害には罪悪感を感じています。ダイアンにとってはこれが自分の終わり、つまり彼女とカミーラが一緒に死ぬことを望んでいるようです。 このような意味で理解するなら、シレンシオという意味は、死の永遠につづく沈黙を意味しているということかもしれません。 それは、映画の最後にはダイアンも死ぬことになることの伏線かもしれません。

クラブ・シレンシオのポイントは、「すべてが幻想であり、すべてが記録されている」という表現が出てくるところです。単純に受け止めれば、クラブ・シレンシオのシーンまでに観客が見てきたものは、**幻想**であり、これから見せるシーンがすでに起こったこと(現実に記録されたこと)だと暗示しているということです。 さらに深く読めば、クラブ・シレンシオが幻想、ベティとリタの世界のすべても幻想、今見ている映画も幻想、何もかも幻想であり、鑑賞者が見ているもの(映画そのもの)は、本物(現実のもの)ではないことを、しっかり心しておけという暗示かもしれません。 だから、幻想と現実をきっちり区別するな、その境界線はあいまいなものだと伝えたいようにも感じます。

【ヒント8】カミーラは才能のみで成功を勝ち取ったのか?

映画の前半、つまり妄想部分ですが、ベティはアダム監督がカミーラローズをオーディションする場面にいます。 そしてベティは、カミーラがアダム監督に、『The Sylvia North Story』での最終選考に残り選ばれるという事実を知りません。 これは、映画後半部分(表現はされないが、語られるだけ)でベティがダイアンと一緒に監督のオーディションを受けたときに、なぜダイアンが役にありつけなかったのかという、ダイアン自身が自分に対しての行った合理的な説明として理解できます。 回りくどく書きましたが、要は映画の配役決めで壮大な陰謀が繰り広げられたので、ダイアンは役にありつけなかったということを言いたいわけです。 つまり、映画前半部では、結局スポンサーのカミーラ主役の一押しがあったわけで、カミーラの才能だけで成功を勝ち取ったわけではありません。

映画後半の現実の世界では、カミーラがスポンサーにイチオシされたということを示すものは何もなく、監督と結婚したから役にありつけたという結論も早急です。ただ、監督との仲の良さから、どうも身体を使って配役にありついたとも取れなくもありません。 アダム監督の母親、ココはカミーラへの評価は高くないようですが、かといって才能がない根拠としては弱いです。 ただし、全体としてカミーラは才能だけでなく、強力にハリウッドでの人脈を形成し、その中で配役を得た可能性が高いように見えます(というか、そうだ)。

【ヒント9】ウィンキース(Winkies)の裏にいる男の周囲で起きていることに注目せよ

映画の中で難解で少し怖い場面は、ウィンキースの裏で起きたことです。 ウィンキースのシーンでホームレスの男性はハリウッドの醜い面を象徴しているという解釈が大多数の様です。私はそこまで深く読めませんでした。

ウィンキースで、ダンは夢の中で起こっていることをハーブに説明します。そして、ホームレスの男性を見たとたん急死します。 映画の後半で、ダイアンがカミーラ殺害を依頼するシーンにもホームレスの男は登場します。そして、ホームレスの男はダイアンが生涯を閉じた後にも現れるので、死の象徴として捉えるとわかりやすくなります。ホームレスの男は後々に誰かを死に導くわけです。

【ヒント10】ルース叔母さんはどこにいる?

マルホランド・ドライブ

冒頭のベティによると、ルース叔母さんがカナダで映画を撮影しています。 実際には、ルース叔母さんは亡くなっていて、その相続資産で、ダイアンはオンタリオ州ディープリバーからハリウッドへ引っ越ししています。「カナダ映画を撮影している」というのは死亡しているという意味の婉曲表現でした。

「カナダで演技する」は死を意味するというハリウッド映画業界の慣れたジョークがあることも、予備知識としてあるとわかりやすいですね。

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