ジョディ・フォスター主演の『羊たちの沈黙』は、サイコスリラーの傑作映画です。今思えば、恐ろしいほどの低予算(1,900万ドル)で製作されています。第64回アカデミー賞を総なめ(作品賞・監督賞・主演男優賞・主演女優賞・脚色賞の主要5部門)にしています。なお、興行収益は2億7千2百万ドルですので、計算通りミリオンヒットですね。
みどころ
原作では『ゲーム・オブ・スローン』などでも常用される残虐性の描写あり、殺人後の猟奇的な生皮を剝ぐような残虐シーンも想像されますが、本映画では映像としての直接的描写はありません。でも、ストーリーにはまると、そのシーンが視聴者の脳内で勝手に浮かんでしまいます。
見どころと言っては何ですが、本作品は内容からしてホラーに帰着するものだとばかり思っていたら、サスペンス調でストーリーが進み、ホラー映画に全くなっていない点です。
ホラー映画のファンからは不評があるようですが、サスペンス好きな人にはツボをついている作品です。後半のトリビアに書きますが、上手くまとまったのは監督や役者が降板し、予算も限られた中で制作人が尽力できたという偶然と努力のたまもの何だろうと思います。
若いころのジョディ・フォスターは、表情はきりっとしていて、大股で凛として歩く小柄の女性なので、今見てもカッコイイです。
あらすじ
主人公は大学を出たばかりの若い女性、クラリス・スターリング(ジョディ・フォスター)です。FBIの行動科学課の研究生(インターン)を演じます。捜査責任者のジャック・クロフォード(スコット・グレン)は、連続殺人鬼の「バッファロー・ビル」の捜査を進展させるため、現在殺人で収監されているかつての法医学、精神科医の権威であったハンニバル・レクター博士(アンソニー・ホプキンス)の分析力を利用しようと、クラリスにそれを担当させます。
レクター博士はバッファロー・ビルの情報を提供する代わりに、クラリス捜査官自身の幼少期からの感情を含めた情報、告白を要求します。その過程で、クラリス捜査官の心が丸裸にされてしまうという、空恐ろしいサイコサスペンスがはじまります。
トリビア
この映画、公開当初から傑作大ヒットだったのですが、公開に至るまでの過程では一苦労あったようです。
主演のジョディ・フォスターは子役時代から才女で有名したが、本作で有無を言わさぬ演技を見せており、主演女優賞は当然でした。一方、主演男優賞はのアンソニー・ホプキンスは当時は無名に近く、初めて劇場でこの凄腕の俳優を知った人は多かったのです。
それも、米国でもさほど知られた俳優でなかったアンソニー・ホプキンスは、本人も受賞するとは思っていなかったそうで、オスカー像を手渡されるまで実感がなかったそうです。
実はホラー映画として成立するはずの『羊たちの沈黙』でしたが、脚本はより児童向けに合わせようとし、直前でキャストも変更されたことで、よりホラー感は薄められ、どちらかと言えばサスペンス的な描写の映画になりました。
FBI絡みのトリビア
ジョディ・フォスターはクラリス捜査官役を徹底するために、本物のFBIから銃器の訓練を受けています。それも適当なものではなく、本物の新人捜査官訓練生クラスに参加し、実在の女性FBI捜査官に張り付き、アドバイスを受けています。
女性捜査官たるクラリスが、男性上司に意見しても軽くあしらわれる、というより「女のくせに」というようなバカにされるような扱いを受けるシーンは、FBIが本映画製作に協力したという有名な話があります。
これは、当時女性捜査官を増やしたかったFBIが、本映画のクラリスは「女性FBI捜査官採用ビデオに使える」と確信を持ったからで、検死のシーンでは本物のFBIがエキストラ出演しています。その前に、脚本の細部をFBI職員が修正しているというのもトリビアですね。
アンソニー・ポプキンスにまとわるトリビア
本作品で主演男優賞を獲得したアンソニー・ホプキンスですが、これほどの名優でも50代半ばまでまともな配役にありつけなかったそうです。現に『羊たちの沈黙』公開時以降、ホプキンスのギャラはバカ高くなっています。
本作品で回ってきた脚本、台本をアンソニーがチラ見したら、「童話作品か」と思ったようです。
でも読んでみると、どう演じたらいいか、身体で感じてしまったそうです。そして、この脚本は今までの役者人生の中で、最高の作品であると確信を持ちました。
アンソニーは米国のテレビドラマで、アドルフ・ヒトラーを演じていたことがありましたが、ヒトラーとは言葉も、姿かたちも全く違うアンソニーですが、演技を見続けているとそれっぽく見えてきます。だから、もともとも才覚はあるわけですね。発掘されるまでにとても時間がかかったということですね。
アンソニー・ホプキンスは台本を徹底的に読み込み、役作りを行い、一発撮りに集中するメソッド法でやるタイプなので、何度も同じシーンをとらされるのことを嫌がります。ところが、『羊たちの沈黙』では、ジョディ・フォスターの自然に演技(レクター博士に言葉でいたぶられるシーン)に身ぼれしてしまっていたので、監督が気に入るまで、何度でも撮り直しは気にならなかったそうです。
アンソニーは、後に本作品同様、トマス・ハリス原作の『ハンニバル』(監督はリドリー・スコット)にも主演して、食人鬼ハンニバルを演じるのですが、本人はいたって菜食主義者という点が面白いですね。
尚、当人アンソニー・ホプキンスの代表役としては、このハンニバル・レクターを挙げる人が多い(特に日本では)のですが、アンソニーが演じる役はどれも見事で、『アトランティスのこころ』のテッドや『白いカラス』のコールマン教授、『ファーザー』のアンソニーなど、どれもレクター博士以上にいいですね。
脚色賞のテッド・タリー
第64回アカデミー賞で脚色賞を獲得したテッド・タリーですか、知る人ぞ知る名脚本家です。
原作の小説、『羊たちの沈黙』そのものは実のところ、そこまでイケてる小説ってわけでもないかもしれません。というも、人肉を食らう連続殺人犯が、高学歴の精神科医なんだよって筋書になっていて、ホラーなのか、サイコなのか、脚色の方法次第では何物にもなってしまえるからです。
その、グロいホラー小説もどきを、傑作の映画作品に書き換えてしまったのが、テッド・タリーと監督のジョナサン・デミです。この仕事が舞い込んできたときは、テッド・タリーはギャラがもらえるかどうかも不明なまま、ひたすら書き続けろと制作責任者のケネス・ウット(本作品でアカデミー賞作品賞受賞)から小突かれていたという小話もあります。
同シリーズ作品『レッド・ドラゴン』もテッド・タリーが脚本しており、本作品ほどではないにしても評価は高いです。
ジョナサン・デミ監督にまとわるトリビア
当初、映画『羊たちの沈黙』では、ジーン・ハックマンが監督と主演を務める予定でした。ところが、ジーン・ハックマンは監督を降りてしまいます。そして、ジョナサン・デミに監督のオファーがかかったというわけです。
デミ監督は、この種のジャンル(当初はホラー系)の映画はあまり気乗りしなかったらしく、どちらかと言えば嫌々引き受けた感じです。
配役は、レクター博士役にジーン・ハックマンが決定していたのですが、すでにハックマンは同時期にFBI捜査官を他作品で演じてしまっており、視聴者うけを考え、さらにレクター博士役に嫌悪感を抱いてしまった(ハックマンの娘が、父がレクター博士を演じることに強く反対したためとされる)ので、本作品をすべて降板してしまいます。
監督が主演には、ジョディ・フォスターでなくて、『スカーフェイス』のミシェル・ファイファーを強く要望していたことが知られています。
デミ監督は、とにかくミシェル・ファイファーが大のお気に入りで、嫌なホラー系の作品『羊たちの沈黙』だけど、ミシェルとならいい作品ができると、周囲にまき散らしていたことは有名です。でも、ミシェルは、そんな「悪」にまつわる役は拒絶、そこでジョディ・フォスターに白羽の矢が立ったというわけです。
監督が実際にジョディ・フォスターに会ってみると、小柄で大股で歩くジョディのクラリス捜査官役は、監督自身が描いていたミシェル・ファイファー演じる捜査官(スラっとかわいい捜査官)より、ずっといい作品(きりっと力強い小柄な女性捜査官)に仕上がるだろうと感じたそうです。
ジョディ・フォスターが主演女優賞まで獲得したクラリス・スターリング役ですが、当初一番に配役されたミシェル・ファイファーですが、クラリス役はやはり引き受けなくてよかったと思っている一方、その後のジョナサン・デミ監督作品に出演しなかったことを後悔しているそうです。
私個人のデミ監督のイメージとしては、地味だけど傑作を作る才能豊かなまじめな監督です。『羊たちの沈黙』が大ヒットした時は、一発屋扱いされていた感がありましたが、次作の『フィラデルフィア(1994)』では、当初まだマイナーだったLGBT、HIV偏見を駆逐してゆくストーリーで、第64回アカデミー賞主演男優賞を獲得しています。『羊たちの沈黙』とは全くジャンルの違う『フィラデルフィア』で、あの時代にエイズ患者を描き切った力量は見事です。
『羊たちの沈黙』は小説を読む限り、やっぱりホラー系なので、映画のようなサスペンス感はあまりありません。デミ監督は、当作品のようなホラー仕立てがあまり好きでないのか、同シリーズ作品『レッド・ドラゴン』『ハンニバル』の監督は固辞しています。
デミ監督は2017年に他界されていますが、ホラー系でアカデミー賞主要五部門を制覇したのは、デミ監督は『羊たちの沈黙』だけです。
ジョディ・フォスターにまつわるトリビア
本作品のクラリス捜査官を演じるジョディ・フォスターですが、後々未婚で出産したりと、なんやら怪しい私生活が取りざたされます。
本『羊たちの沈黙』ではクラリス捜査官に男っ気がないのが、さすがジョディ・フォスターのすごい演技力と思っていましたが、ジョディはLGBTのLのようなので、自然に演技できたわけですね。
FBIの同僚連中、男社会の男に嫌悪感を抱いている気丈な女性をうまく演じ切っています。
バッフロー・ビル役のテッド・レヴィンに関するトリビア
テッド・レヴィンは『羊たちの沈黙』で連続猟奇殺人鬼、バッファロー・ビル(ジェイム・ガム)を演じた役者です。本作品では、カッコイイ悪役のレクター博士とは対極に、変態サイコの人殺し(これはレクター博士も同じか)のカッコ悪い、エグい方の悪役が隠れた楽しみどころにもなっています。
本作品のレヴィンは変態殺人鬼役ですが、その他の作品ではソコソコのカッコイイ役も演じています。例えば、『ヒート』などでは、やられてしまうのですがカッコイイ刑事を演じています。
このバッファロー・ビルを演じたレヴィンの演技は絶賛もので、賞を獲っていないことが残念でならないほど素晴らしいものです。
つまり、観てる人を嫌な気分、怖い気分にさせる演技を見事やってのけています。レヴィンは、役を演じる前に、アメリカで捕まった有名な連続殺人犯を調べ上げ、連中に共通点を見つけました。
その共通点は、「サイコな人殺しは、女性をコントロールすることに徹底的に執着し、最終的には生命を奪っている」という結論に至りました。でも、その程度の共通点を見つけたくらいでは、本作品の猟奇的人格が再現できません。CGがまだべらぼうに高価な1990年代では、CGをフル活用するには予算不足で、人力(役者の力量のみ)で表現するしかありません。
そこで、テッド・レヴィンはさらに役柄の偏執性を自分なりにレベル上げして、「性転換をしたいわけではないが、女になりたいと思っている男。自分が女性にしか備わっていないと信じている女性の精神性を獲得した者になりたいという男。さらに女性にしか備わっていない力、精神的な力を備えた者になりたい男」として、バッファロー・ビルを演じることに決め、役作りをしました。
つまり、男の自分が精神的に愛せる女性という格を得た男というような意味です。
『羊たちの沈黙』ではバッファロー・ビルがフリチンの股間丸出しで鏡の前で踊るシーンがあります。日本版の映画ではボカシが入っていますが、あのシーンは丸出しで描写した方が、殺人犯の屈折した心理が伝わります。
ちなみに、デミ監督は、そもそも台本にはなかった、バッファロー・ビルの踊りのシーンをそのままカットするつもりでしたが、レヴィンが強く主張して、デミ監督に使ってもらったそうです。
トリビアとして面白いのが、レヴィンは殺人犯の猟奇性を単に理解しようと、役になりきっただけはなく、その精神の成り立ちまで、しっかり分析しているところです。バッファロー・ビルは、生まれつきの殺人鬼ではなく、長きにわたる組織的な虐待で殺人者になってしまった。そのため、バッファロー・ビルはもともとはまともな人格を備えているため、虐待された自分自身を好きになれず、遠いけれど近い存在、精神的に女になった自分を自分自身で認めて、それが普通だと思っている、みたいな意味ですね。
その過程が本人の中で混ざり込み、結果的に何千倍も病状がひどくなったのが、本作品のバッファロー・ビルなのです。
なお、バッファロー・ビルはアメリカで実際に存在した、トラックに押し込む誘拐魔、人体の生皮剥ぎ魔、迂回して地下室に閉じ込め魔の三つの類型を混ぜたキャラクターになっています。
ここまでの単独ド変態殺人鬼が実在したというわけでもないようです。
チルトン博士を演じたアンソニー・ヒールドに関するトリビア
アンソニー・ヒールドは、本映画でフレデリック・チルトン医師役で出演している役者です(『レッド・ドラゴン』にも同じ役で出演)。嫌味な感じが抜群にうまい役者ですね。
映画やテレビではチョイ役が多い感じですが、一部のオーディオ・ブック(スターウォーズ系『ニュー・ジェダイ・オーダー』)では彼の声は有名です。
映画『羊たちの沈黙』では、アンソニー・ヒールドはジョナサン・デミ監督から直接、出演オーダーされたことでも有名です。デミ監督は彼のことをお気に入りのようで、監督は「アンソニー、あなたと映画をやりたい、この脚本でどの役に興味がある?」と聞かれて、「ドクター・チルトンをやりたい」と即答したそうです。
制作時のセリフの読み合わせでは、アンソニー・ヒールドはハックマン降板後のハンニバル・レクター博士の役(のちにレクター博士役はアンソニー・ポプキンスに決定するまで)をやったりと、制作初期から参加していたベテランでもあります。
制作初期の読み合わせは、代理としてレクター博士役をアンソニー・ヒールドがやっていたため、アンソニー・ホプキンスが正式に配役されると、ヒールドは躊躇します。
というのも、ホプキンスが演じるレクター博士は、ヒールドがこれまで代役とはいえ、それなりにやってきたものとは全く違うキャラクターだったからです。なお、当時はホプキンスよりヒールドの方が役者としての知名度は上です(ホプキンスは『羊たちの沈黙』が公開されるまではあまり知られた役者ではなありませんでした)。
どちらのアンソニーも役を作り込むタイプであるため、一旦なり切ったキャラクターから違いすぎるもの(役)を見せられると、どうしても否定的な見解を述べてしまいます。その時のヒールドの口癖は「ホプキンスの演技はひどいよ、レクターはそんなに紳士じゃないよ、彼の殺人鬼な感じを表現してないよ」だったそうです。
この発言から想像するに、ヒールドは殺人鬼感たっぷりのレクター博士をキャラクターとして描いていたのでしょうが、興行的にはホプキンスの演じた冷酷な紳士で道徳観の豊富な仮面を持つ、レクター博士で正解だったようです。
ヒルトンは、自分も読み合わせだけとはいえ、レクター役を彼の中で作り上げたというのもあって、『羊たちの沈黙』はそこまで怖くない映画で、サイコスリラーってのも評価しすぎだと感じているそうです。
アンソニー・ヒルトンはとにかく、声の方が有名なので、オリジナル言語で視聴した方は、聞いたことある声だと気付くはず。
視聴のコツ
本作品は吹き替え版より、ノーマルの英語音声で視た方が味わえる映画です。
理由は、吹き替えの方では名優アンソニー・ポプキンスが演じる、サイコパスの声の調子が十分に表現できてるとは思えないからです。
米国なのにイギリス英語でクラリス捜査官に話しかけるシーンの不気味さなどは、翻訳してしまうと吹っ飛んでしまいます。一方で、吹き替え版は内容をくみ取った妙訳が使われている個所も多いので、まったく無視をするのももったいないところです。
終盤にレクター博士がクラリスに電話して、「今から古い友人と晩飯に行くつもりさ」というシーンがありますが、ここは英語で聞いている方が数倍怖いです。
I’m having an old friend for dinner.
文字通り、普通に聞き取ると「長年の友人と夕食(に招待)する」という意味にしかならないのですが、これを殺人食人家、レクター博士が話すと「長年の友人を夕食にして(、殺して)食べる」という意味にしか取れなくなります。
このシーンのレクター博士の怖さが、字幕や吹き替えだと物足りないので、オリジナルでしっかり味わいましょう。ホプキンスの上品な英語(米語ではないという意味)で話されるシーンなので、サディスティック感も感じ取れますね。
本作品は Amazon プライムビデオ だけでなく、Hulu やU-NEXTでも視聴できるので、まだ視たことがない人も、視直したい方も時間をとってお楽しみください。
-
実話じゃなかったのね『FARGO/ファーゴ』
今では昔になりますが、1996年公開の『FARGO/ファーゴ』は反則的な面白さがある作品です。ジャンルはサスペンス、でも ...
続きを見る